広島ホームテレビが制作した映画、「原爆資料館 語り継ぐものたち」を観てきました。東京では7月18日から、ポレポレ東中野で公開しています。

私が広島平和祈念館(原爆資料館)を最初に訪ねたのは、中学校の修学旅行でした。広島以外の地域に住む人達で私と似たような体験を持つ人はかなり多いのではないでしょうか。その後も広島大学で授業をするご縁などもあり、これまでも折に触れて伺ってきました。
原爆資料館は1955年に開館して以来、海外の旅行者や要人も含めて、約8000万人が訪れているとのことです。2万2千点を超える遺品や資料が収蔵されており、事前に申し込めば被爆者の方にお話を伺うこともできます。2016年にはオバマ大統領がアメリカ大統領として初めて訪問。そして、2023年のG7広島サミットでは、核保有国である主要国の首脳が資料館を訪問しましたが、撮影は禁じられ、談話などは一切発表されませんでした。
以上のようなことは、パンフレットを読んだり報道で見聞きしたりしていました。しかし、原爆資料館そのものがどうやって誕生し、これまでに至ったのか、その歴史については、正直、思いをはせることはほとんどありませんでした。
ちょうど去年のこの時期、私は戦後80年ということで長崎放送に伺い、被爆者の声を集め続けている取り組みを取材し、「NBC長崎放送・被爆80年の取り組み ~“原爆の鬼”からのバトンリレー~」という原稿を書きました。辛い記憶を記録することの難しさ、現代に生きる人に届け続けていくことの難しさ、平和・核廃絶への願いと国際政治の関係の難しさについて深く考えさせられました。そのため、原爆資料館が果たしてきた役割や、それを制作した地元民放局の役割について勉強したい、そんな思いで映画館に足を運びました。
映画の中心となる軸は、初代から14代まで続く館長の目線です。まず驚いたのが、原爆資料館は1人の地質学者の個人的な熱意から始まったということでした。現在、博物館は広島市が出資する公益財団法人広島平和文化センターによって運営されています。そのため、私はてっきり、行政主導で始まったものだと思い込んでいましたが、初代館長となった長岡省吾さんが、被爆直後の広島に入り、そこで原爆の影響で焼け焦げ溶けた瓦礫を集め、自宅で保管し、公民館で小さな資料室を始めたことがきっかけとのことでした。
それから14代目まで、歴代館長の中には被爆体験者(体内被曝者含む)が4人、二世が2人いらっしゃいます。映画では、広島ホームテレビがこれまで制作してきた、館長たちの活動が記録されたアーカイブがふんだんに活用されています。館長であると同時に、生きた記憶者として自らの肉声で来館者や世界の要人たちに語り続ける映像は圧巻でした。
また映画では、3度の博物館のリニューアルの裏側にも焦点があてられています。映画のタイトルは「語り継ぐものたち」。時代の変化や記憶の風化の中で、今日の人々に届く表現方法とはどういうものなのか。肉声ではなく、ものが語るとはどういうことなのか、遺品を寄贈した人の思いや学芸員の取り組みから学ばせてもらいました。
(監督舞台挨拶・広島ホームテレビ 斉藤俊幸さん、立川直樹さん)

公開2日目だったので、映画鑑賞後、広島ホームテレビで監督をつとめた2人のお話を伺うことができました。改めて感じたのは、100時間を超えるアーカイブがなかったらこの映画は存在しなかったということです。その意味で、この映画は、これまで55年間の広島ホームテレビの活動そのものによって制作された作品と言えると思います。これは、間違いなく、地域に根差したローカル局があることの大きな存在意義を示しています。そして、膨大なアーカイブの中から、今日に問いかける映像を丁寧に拾い出し、それらを新しい物語として紡ぎ直してくれた2人の監督には感謝しかありません。
原爆資料館は、自ら保管している資料をどう社会に公開し、そこに今日的意味を持たせていくのかを日々考えています。放送局も自ら保管しているアーカイブを、今回の映画製作のように、もっと有効活用し、社会に貢献できる方法があるはずだ、そんな学びもありました。
最後に、この映画は、加害と被害、核廃絶と核抑止という分断と対立の中で、記憶という存在がどのような役割を果たすのかを問いかけています。これは、世界で唯一の被爆国である日本が、世界に、そしてこれからの社会にどのような役割を果たすのか、という問いと同義でもあります。遠い政治の話ではなく、自らの問いとして心に刻むためにも、この映画を多くの方に観ていただきたいと思います。