6月25日、フジテレビ(フジ)の持ち株会社、フジ・メディア・ホールディングス(フジMH)の株主総会が終了した。フジ側が提案した取締役候補の全員が選任され、約半数が女性に、平均年齢も10歳以上若い57歳となった。
株主総会の結果を受け、サントリー、大和ハウス工業、ロッテは、7月からフジへのCM出稿を再開すると発表した。フジMHが5月末に総務省に報告した、取引企業200社に対する調査結果[i]では、CM再開は他社の動向を見守ると回答した社が多かった。この結果を鑑みると、現在、出稿を見合わせている約7割の企業でも、出稿を再開するところは徐々に増えてくるだろう。
ただ、中居正広氏と元フジの社員を巡る一連の問題以降、組織のガバナンス不全や人権意識の低い上層部の姿勢を繰り返し見てきた視聴者が、フジに対して抱いた嫌悪感は、そう簡単に払拭されることはないだろう。最近では社員がオンラインカジノに手を染めていたことが発覚し、アナウンサーが書類送検、バラエティー制作部の企画担当部長が常習賭博の疑いで警視庁に逮捕されたことも、視聴者感情の悪化に追い打ちをかけている。放送は広告主と視聴者の二面性市場である。たとえCMが戻ってきたとしても、視聴者が戻ってこなければ、フジの再生はない。
放送や通信の政策について議論する自民党の情報通信戦略調査会は、こうしたフジのガバナンスの問題や人権軽視の姿勢は、フジ特有のものではなく「放送業界全体の構造的な問題だ」としている。筆者は、ここ数年のガバナンスや人権に対する取り組みは、業界内でも各社で大きな差がでているため[ii]、必ずしもこの自民党の見解に全面的に賛同するものではない。ただ、フジの問題を契機に、改めて放送局としてのガバナンスのあり方を点検し、自らの姿勢を社会に示していくことは重要なことであろう。6月27日から総務省では、「放送事業者におけるガバナンス確保に関する検討会[iii]」も始まった。
コンテンツビジネス企業としてのフジの再生には、フジMDが成長戦略として掲げた、番組やキャラクターなど知的財産(IP)の収益化がカギを握る。しかし、メディア企業として視聴者の信頼を回復していくには、人権施策や組織風土改革のような、地味できめ細かい施策の積み重ねが重要であり、経営にはその両輪の取り組みが求められている。ここからは後者について、放送局に共通する論点を4点、筆者の考えとして述べておきたい。
1)人権施策
まず「人権施策」である。フジはさまざまな施策を開始しているが、その中でも、社外に相談・救済窓口を設けたこと、そして、その対象を制作会社スタッフ、出演者、そして取材対象者にまで広げたことについては大いに評価したい。立場の弱い人が、何かあった時に声を上げられる仕組みは人権施策の肝である。こうした窓口が用意されることで、社員もスタッフも出演者も安心して仕事ができるし、市民も安心して局の取材を受けることができる。
個社で窓口を設けることが難しい規模の小さなローカル局も少なくない。民放連では、業界全体として対応に取り組んでいくという。この施策がきちんと機能するには、まずは窓口をできるだけわかりやすく周知していくことである。業界あげての努力を期待したい。
2)あしき慣習の一掃
次に、数字(視聴率)を持つタレントや、力のある事務所とのなれ合いという、「あしき慣習の一掃」である。こうしたなれ合いは、時にタレントや事務所の問題行動を生み、局の企画力や制作力を低下させ、番組の質にも悪影響を及ぼしかねない。旧ジャニーズ問題の際にも指摘されていたことだ。
フジは芸能事務所を回って自社の人権順守などの方針を説明し、理解を得るための対話を行っている。局のリスク管理として当然のことだが、何か問題があったら番組を降板させるなどの措置をとる、という緊張関係以上に、大切なのは、よりよい番組を共に制作していくための信頼関係である。芸能事務所も出演者も、局との契約関係という観点から見ると、弱い立場であるともいえる。放送局には、「よき慣習の構築」を望みたい。
3)テレビバラエティーの公共性
フジがスローガン「楽しくなければテレビじゃない」からの脱却を宣言したことについても考えておきたい。バラエティー番組の特定の制作者たちが、自分が楽しいと思ったものを視聴者に提示し、そこで得た成功体験にあぐらをかいていたというのが、一連のフジ問題の底流にあることは間違いない。その成功体験は、フジのアイデンティティーとして深く刻み込まれている。
だが、筆者は過去を全否定しなければ改革を成し遂げられないとは必ずしも思わない。フジには今後、多様な制作者が多様な視点で、視聴者の「楽しさ」を追求してほしい。リアル社会でもネット空間でも課題が増大する中、世代を超えて安心して楽しめる娯楽とは何なのか。楽しみながら時代を認識できる良質な娯楽とは何なのか…。
これらの追求は、実はテレビバラエティーにおける“公共性”とは何か、を考えることにつながるのではないかと筆者は考えている。最近の放送を巡る議論は、偽・誤情報への対応などのデジタル時代における情報空間の健全性、という観点から、放送局の報道や情報番組制作の機能に焦点があたりがちである。しかし、特に民放においては、バラエティー番組制作こそが放送局の最も大きな機能である。ネットフリックスやアマゾンプライムのコンテンツに置き換え可能ではないテレビバラエティーの役割とは何なのかを、フジには、そして放送局には、放送100年の矜持を持って示してほしい。
4)メディア企業としてのガバナンス
最後に「ガバナンス」について述べておく。先に触れたように、総務省の検討会で議論が始まったが、筆者はメディア企業のガバナンスには、一般企業の「経営による適切な情報開示と透明性の確保」に加えて、報道機関としての自浄能力が必須だと考えている。メディアは、取材では他者の責任を執拗に追及するが、身内には甘いとの批判をよく受ける。報道部門が経営と適切な距離を取る組織運営ができるどうかは、メディアが市民から信頼を得るための重要な要素ではないだろうか。
現在フジは検証番組を制作中だ。7月中に放送予定だという。どこまで自浄能力を発揮できるのか、期待して待ちたい。
[i] https://www.fujimediahd.co.jp/reform/pdf/shinchokujyokyo_6.pdf
[ii] 国連人権NGOヒューマンライツ・ナウがまとめた「テレビ局の人権施策の実施状況に関するアンケート調査報告」からも、各社の対応が異なっていることが窺える
[iii] https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/hosojigyoshan_governance/index.html