映画「能登デモクラシー」から考える地域メディアの役割(5月17日記)


 5月17日、石川テレビ・五百旗頭幸男監督の映画、「能登デモクラシー」(https://notodemocracy.jp)初日(監督舞台挨拶付き)に行ってきました。能登半島地震の被災地・穴水町と、地元のメディア「地域新聞」のことについて、ローカル局が、そして地域と民主主義の眼差しを持つ五百旗頭幸男さんがどう描くのか、これは観に行かないわけにはいかないと思っていました。

五百旗頭監督の初日舞台あいさつ

 

 この映画の最も大きな特徴の1つは、震災の1年前から、“過疎と民主主義”をテーマに穴水町に取材に入っていたことだと思います。震災が起きてから取材を始めたわけではなく、日常の地味な地道な取材を続けていた延長線だからこその作品。これはまさに、地域に根差したローカル局だからこそだと思います。とはいえ、石川テレビの放送エリアは県全域です。ですので、市町村の1つである穴水町に深く深く入り込む取材を続けていた偶然性も大きかったと思います。なにより、映画の舞台が、大手メディアでの取材が集中している輪島市や珠洲市ではなく、穴水町であったということにも大きな意味があります。能登半島の被災地は、被害が甚大だった輪島や珠洲だけでは決してないからです。能登半島地震、被災地の存在が忘れ去られていくおそれがある中、こういう作品を作り全国に発信していくことこそが、ローカル局の大きな役割の1つであると思います。

 次に、震災後に能登に取材に入った私が現地でよく耳にしていた「地域新聞」という存在について触れておきたいと思います。地域新聞は、この映画の軸ともいえる存在です。復旧・復興のプロセスで地域の人々の分断を生んだり、深めたりしないようにするには、地域の人々をつなぐメディアの存在が必要であり、特に高齢化が進む地域では、SNSやウェブサイトではなく、手渡しで届けることのできる紙の新聞がいい、と、様々な集落で発行されていました。公民館や役所、学校などでも実物を目にすることも多かったです。

 なるほど、確かに“手渡し“という行為は、単なる安否確認の訪問ではなく、雑談や相談のきっかけにもなりますよね。仮設住宅には集会所のようなところも作られていて、ある種のスペースメディアとして機能しているとは思いますが、そこにいくための一歩が踏み出せない人も少なくないようです。物理的にだけでなく、心理的なハードルが大きい人もいます。一人一人の心に寄り添うメディアとしてのラジオもありますが、やはり、直接の人のぬくもりに勝るものではありません。「地域新聞」の存在は、地域メディアを研究する者として、能登半島地震取材における1つの大きな発見でした。

 ただ、この映画で主人公となっている穴水町の滝井元之さんが発行する地域新聞「紡ぐ」(https://ana-tumugu.sakura.ne.jp/tumugu1.html)は、他の地域新聞とはかなり異なる特徴を持っていると聞いていました。一個人が発行人であること、行政や議会に対しても、言うべきことはしっかり言っていること。そのため、「紡ぐ」は“色が付いている”ということを耳にすることもありました。確かに様々な地域で発行されている新聞と見比べてみると、「紡ぐ」との違いがよく分かりました。

 まさにこのことは、市町村や集落単位のコミュニティメディア、マイクロメディアに報道やジャーナリズムは成立するのか、必要なのか、という私の問いに通じるものでした。地域と密接な関係にあるメディアが、どこまで行政や議会を監視できるのだろうか?地域の長老の行動や発言に、時に異を唱えることができるのだろうか?地域の人たちがみな疑問に思っているけれど口にはできない課題について、臆さず発信することができるのだろうか?

 地域にはオンブスマン活動などで行政を監視する活動をする人たちがいますが、行政から疎まれることも多く、しかし、そのことも含めて、活動の存在意義であるともいえると思います。ただメディアとなるとそうはいきません。情報公開請求をするオンブスマン的な活動もするけれど、行政、議員、市民に日々取材ができなければ暮らしに密着した記事を書き続けることが難しいからです。地域の営みとは、報道のような固い内容より柔らかい内容が圧倒的に多いわけですから。

 やはりコミュニティメディアやマイクロメディアは、毎日同じ空気を吸って生きている地域の人たちの“空気”を読み、忖度もしていかなければ成り立たないのか。それとも、嫌われることも覚悟して孤独な闘いを続けなければならないのか。私の知っているメディアの担い手の人たちは、こうした葛藤を持っている人もいれば全く持っていない人もいます。どちらが正解なのか、正解があるのか、私にはわからないままです。

 今回の映画は、こうした私の問いに1つの答えをくれたという意味でも、とてもありがたいものでした。それは、“メディア人”である前に“地域人”として、自らの全てを地域のために投じ、様々なボランティア活動に取り組む滝井さんという稀有な存在が営んでいるからこそ、こうしたメディアが成立するのだ、ということです。つまり、「仕組み」ではなく、「人」だ、ということ。しかし、それは逆説的にいえば、「人」がいなければ成り立たないということでもあります。そして、そんな滝井さんの姿勢をもってしても、15年以上の歳月がかかっているということ、更に、意見の違いや立場の違いを超えて、地域の未来を考える土壌を作っていくというまさにメディアの根源ともいえる存在意義の発揮が、震災がなかったらどこまでこの地域にもたらされていたかどうかなど、あくまで、ここで得た学びは、穴水町の現在地でしかないということも痛切に感じました。

 今回の映画で、私の問いが更に深まってしまったのは、どこまで過疎化してしまった集落を維持すべきか、というものです。つまり、住民の思いと行政の施策、その折り合いをどうつけていくのか、です。住まいは人権、しかし、行政コストには限界がある。高齢化と人口減少が続く中、この問題をどう考えていくのか。これが、地域における民主主義の最たるテーマであることは間違いないと思います。穴水町は、映画では「人口減少の最終段階」とコメントされていましたが、金沢駅から電車も通じていて、奥能登の他の地域よりははるかに条件がいいわけです。能登半島だけでなく、日本には、穴水町よりずっと、最・最終段階の地域も少なくないのです。ただ、この問いについての答えは、この映画の中では示唆はされていましたが、十分に描かれてはいませんでした、むしろ、震災後だからこそ、描かなかったのかもしれないとも感じました。この問いについては、自分自身のテーマとして、引き続き考えていきたいと思います。

 長くなりましたが最後に。地域メディアの当事者がドキュメンタリーを作るということはどういうことかについても、五百旗頭監督の舞台挨拶で改めて考えさせられました。これは、先日見た、地域のメディアではなく、“よそ者“の映像コンテンツのプロフェッショナル達が制作し、私も見て深く感動した映画「わたのまち、応答セヨ」(映画『わたのまち、応答セヨ』オフィシャルサイト) の対極にあると思いました。当事者には当事者の、よそ者にはよそ者の、地域への関わり方があること、そして、メディアという存在が地域に関わることによって、地域の既存の枠組みを揺さぶり、地域の人々を動かし、地域の未来を変えていく可能性があること。取材者、制作者の本気が、社会を一歩でも前に進めることができると実感しました。本気の仕事に触れて、今日も元気をもらいました。地域メディアに関わる人たちにはぜひ見てもらいたい1作です。

滝井さんの姿勢に学ぶことは、何事も継続すること、そして、すぐに成果が出なくても諦めないこと。それは、被災地の復興にも言えることだと思います。また近々、能登に行きたいと思います。そして、その時には、穴水もゆっくり回ってこようと思っています。

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