映画「ウナイ 透明な闇 PFAS汚染に立ち向かう」を観て考えたこと(8月16日)


 8月16日、映画「ウナイ 透明な闇 PFAS汚染に立ち向かう https://unai-pfas.jp/」を公開初日に観に行った。先日はNHK報道局のディレクター時代の同期、新田義貴さんが監督を、放送文化研究所時代の大先輩の七沢潔さんがプロデューサーをつとめた映画「摩文仁 https://eurasiavision.net/mabuni/」を観に行ったのだが(映画の感想はこちら→https://bushwarbler.jp/mabuni/)、この映画のプロデューサーもNHKの出身者で、放送文化研究所の元所長の千葉聡史さんである。2作とも、沖縄を舞台にした作品である。

 千葉さんは現在、住まいを沖縄に移し、民放を辞めたドキュメンタリストたちと共に、2024年4月、制作集団「GODAM沖縄 https://godom.okinawa/」を結成し、活動を続けている。退職後、制作の原点に戻りたいと、スマホだけ持って颯爽と単身で海外ロケに出かける千葉さんの背中を見て、私もNHKを辞めて頑張っていこうという勇気をもらった。今回の映画は、沖縄テレビで数々のドキュメンタリーを番組を制作し、退職してGODAMに合流した平良いずみさんが監督をつとめている。平良さんは沖縄テレビ在籍中から5年間、「PFAS(ピーファス)」の汚染問題を追い続けてきた。

(写真1)ポレポレ東中野(東京都中野区)

●PFAS汚染とは?

 PFASとは、有機フッ素化合物の総称である。水や油をはじき、熱に強い特性があるため、フライパンの焦げ付き防止のコーティングや防水スプレーに使われるなど、私たちの暮らしに身近なところに存在してきた。また空港や基地などでは、洗浄剤や消火剤として使われてきたという。PFASと似たような名前で、「PFOS(ピーフォス)」「PFOA(ピーフォア)」があるが、これらはPFASの一種である。70年以上前から多方面に活用されてきたこの物質が、環境を汚染するということが研究者に知られるようになってきたのは、今から25年前、2000年頃だという。

 現在、国際がん研究機関では、PFOAを4段階中、最も高い発がん性がある物質であると分類している。また、疫学調査では、PFASを多く摂取している人たちが、そうではない人たちと比べて、生まれてくる赤ちゃんの体重が低下傾向にあることも報告されており、乳幼児の発達障がいなどの影響が懸念されている。井戸水や水道水から高濃度のPFASが検出されている地域では、がんや体調不良、流産などを訴える市民が少なくない。しかし、PFASとの因果関係を証明することが困難なことから、多くが泣き寝入りを余儀なくされており、不安の中で暮らすストレスに日々さらされている。

 私がPFAS汚染の深刻さを認識したのは、非営利で探査報道に取り組む「Tansa https://tansajp.org/」が4年前に開始した連載記事( https://tansajp.org/investigativejournal_category/pfoa/)に触れてからである。今回この映画を観て、沖縄では今から11年前に、県民45万人が飲む水道水にPFOSが含まれていることが明らかになっていたこと、その後、様々な形で市民による行政への働きかけが行われているにも関わらず、いまだに汚染源の特定すら行われていないことを知った。汚染源とみられるのは米軍基地である。日米基地協定があり、基地への立ち入り調査は難しいのだ。基地と共存させられてきた沖縄の歴史が、市民に更なる重荷を背負わせているのである。映画「摩文仁」を観た時と同様、沖縄に対する自分の無知と想像力の欠如を恥じた。

●映画の主人公 「ウナイ」

 映画のタイトルの「ウナイ」は、沖縄の言葉で「姉妹、さらには姉妹のように支えあい力をあわせて前に進む女性たちを指す言葉(映画パンフレットから)」だ。映画は、妊娠中にもかかわらず街頭に立って、多くの母親に事態を知って欲しいと呼びかけ続け、後に北谷町議会議員となった仲宗根由美さん、安心安全にこだわってカフェを運営し、市民運動の中心的存在として取り組む宜野湾市の町野直美さんなど、PFAS汚染に“立ち向かう”沖縄の女性達が描かれている。監督の平良さんは、「多様性が重視される社会において、男性、女性でくくるのはナンセンスとの批判も覚悟の上(同上)」で、このタイトルにしたという。なぜなら、PFAS汚染問題に取り組む多くが女性であるからだ。平良さんも、沖縄に住む1人の母親として、仲宗根氏の活動に心を打たれてこのテーマに取り組むようになったという。物語は、そんな平良さんの1人称のナレーションで進んでいく。

(写真2)初日舞台あいさつ (右が仲宗根さん、左が平良監督)

 沖縄のウナイたちは、PFAS汚染と闘う世界中のウナイたちとも連帯していく。アメリカではPFASの使用を禁じる州法が制定された。イタリアでは企業を訴えた刑事訴訟に市民が勝訴した。ドイツでは、米軍基地が汚染源となった地域で、米軍が水質浄化の対応策を講じた。みな、地元のウナイたちの必死の訴えがきっかけとなり、社会が変わっていったのだ。

●社会は簡単には変わらない、それでも、諦めず歩み続ける強さ

 世界中のウナイたちに背中を押されるように、沖縄のウナイたちは国連の女性差別撤廃委員会の場で、調査を行わない日本政府に対して、不安を抱える妊婦や住民に誠実な対応をしてほしいと訴える。しかし、帰国して向き合った日本の中央省庁(防衛省、厚労省、環境省)は、ウナイたちの熱量と比べると、悲しいまでに温度感が感じられない対応であった。また、国際的なPFAS規制強化の波を受けて、食品安全委員会ではPFASの耐用一日摂取量の規制値を定めたが、その値は欧米と比べて60倍から666倍も高いものとなった。規制値を決める議論の際に、評価の対象となる論文の7割が説明なく差し替えられていたということも報道された (フリージャーナリスト、諸永裕司さんのスクープ https://slownews.com/n/n16bcc48ae83d?magazine_key=mf238c15a2f9e )。その内容は映画でも紹介されている。

 それでもウナイたちは諦めない。映画の最後には、当初は米軍基地に対する市民活動に関わることを家族に反対され悩んでいた2児の母、島袋彩花さんが金武町議会議員選挙に挑戦し、当選する様子が描かれた。自分たちの思いを言葉に、怒りを行動に変えて、成長していくウナイたち。彼女たちの志の強さと絆の広がりが、いつか米軍基地の高い塀を越え、日本の行政の重い腰を上げさせる日が来るのではないか。未来に向けての“ひとしずく”の希望が感じられるエンディングに、映画館の観客の拍手は鳴りやまなかった。

●私の感想

 最後に、映画を観た私の個人的な感想を率直に3つ書いておきたい。

 まず感じたのは、制作側、特に監督の立ち位置についてである。私は、この映画は、PFAS汚染問題を訴え社会を変革しようと取り組む母親たち、女性たちの5年間の“活動記録“であるという印象を強く持った。監督の平良さんは、汚染問題を報じるメディアの1人である前に、沖縄に住む1人の母親としての自分の当事者性、ウナイとして連帯する輪の中の1人であるという立ち位置をとても大事にしていたと感じた。そのこともあってか、カメラの位置は常に汚染問題を訴える側にあった。活動する女性たちの他にインタビューとして登場するのは、汚染問題を告発する側のジャーナリストや、汚染による被害を警告する側の科学者であった。

 訴えられる側の取材はどうだったか。海外で汚染物質を放出した複数の企業には、取材交渉をしたが断られたというナレーションが入っていた。では、会見をしていた国連の日本代表や沖縄の行政、中央官庁への独自取材は行わなかったのだろうか。確かに、会見以上のコメントを引き出すことは相当に難しいのだろう。しかし、メディアとしてこのテーマを扱うのならば、市民に対してではなく、メディアに対してどう答えるのかも映し出してほしかった。また、食品安全委員会でのPFASの耐用一日摂取量規制値の議論についても同様の印象を抱いた。なぜ日本は、海外に比べて高い値になってしまったのか、その背景に論文の差し替えが行われたことがどこまで影響したのか。この問題を追いかけ続けているフリージャーナリストの諸永さんのインタビューだけでそれを描くのは、観ている方にとってはいささか不親切に感じた。

 次に、女性という視点の強調についてである。確かに、「軍事・経済の利益を優先する社会において、その構造に組み込まれた男性が声を上げづらい現状(映画パンフレットから)」はあるだろう。だからこそ、そうした構造を意識しない女性達の活動には力がある。おかしいことをおかしいと忖度なく発言することで、内向きの議論を打ち破り、現状を変える可能性があるというのは、今回のPFAS汚染問題だけでなく、様々な市民活動や組織改革でも同様に指摘されていることだ。ただし、構造に組み込まれている男性たちは、構造を意識せずに踏み込んでくる女性たちを恐れるがあまり、構造を“理解しようとしない”存在とみなし、より頑なになってしまうおそれもある。

 構造に組み込まれることなく、しかし、構造を理解した上で、どのように社会をよりよくしていくための構造(社会システム)を再構築していくのか。男性中心の政策立案のプロセスに女性が参画していくことの葛藤や課題、新たに見えてきた景色はあったのか。そうした切り口で、北谷町議会議員となった仲宗根由美さんの活動を見たかった。

 最後に、これは自身のことで非常に書きづらいのだが、命や人権を守るべき価値の最上位に掲げ、揺るぎない信念で突き進む母親たちに対し、母親になった経験のない私は、引け目とも負い目ともつかない、なにやら言いようのない感情を抱くことがある。特に、このPFAS汚染問題に対する母親たちの熱量の源は、自分の子どもに有害な物質が含まれた食事や母乳を与えてしまったという罪悪感から来る強い怒りである。この怒りを私はどのように内面で自分事化していけばいいのか、同じ女性としてウナイたちと私は連帯できるのだろうか、そんなことをぐるぐる考えているうちに映画が終わってしまった。

 以上はあくまで、私の個人的な感想である。きっと制作側は、こうした感想を持つ人がいることも十分想定した上で、あえて立ち位置を定め、揺るがない信念を貫いて、この映画ができあがったのだろうと思う。放送の世界に長くいた自分は、どうしてもバランス感覚や、一人でも多くの人への気づきということを意識してしまう。しかし、映画とは、解き放たれた自己表現の世界である。そのことを感じさせてもらういい機会であった。もやもやした感情を抱えながら映画館を後にした私は、気づいたらPFAS汚染や日米地位協定について、もっと学びたいという意欲にかられていた。今後も自分なりのスタンスで、この問題に関心を持ち続けていきたいと思う。